①就職活動の違和感
今日は2020年2月5日。
祖父の命日だ。
この細川庭園には、まるで祖父の人柄を表すかのように雲一つない大空が広がっている。
温かな春の陽だまりのなか、小川のせせらぎと遠くの子どもの声だけが聞こえてくる。
日常の悩みも不安も、忘れてしまいたくなる。
長旅から帰ってきて、就職活動を始めた。
漠然と、大きな会社・人気の会社のなかで自分に合うところを見つけようと、40社ほどの説明会に足を運んだ。
確かに、素晴らしい会社はたくさんあったし、入りたいなとも思った。
だけど、心のどこかに溜まっていく違和感も存在していた。
どんな仕事にも共通していたのは、興味はあるしやりたいけれど、果たして自分にしかできないこと、”自分が”やるべきことなんだろうかという思いだったのかもしれない。
つい最近まで徹底的には自分と向き合いきれておらず、信念や譲れない価値観が曖昧だったので待遇や社会的知名度の高い会社についつい惹かれ、あそこもいいしここもいいな、となっていた。
だけど、身体が沸き立つようなものはなかったし、このままじゃダメだという思いは心のどこかに溜まっていった。
②ステータス主義への辟易
大学に蔓延る、社会のなかで他人よりも優位に立つことに価値を置くステータス主義が好きになれない。
自覚・無自覚に関わらず、多くの学生の思考や価値判断の前提に根深くそういう価値観が存在しているように見える。
学内でも特に能力の高い人たちやエリート意識の高い集団に身を置くと比較的強く感じる。もちろんそういったものから距離を置いて、自分の確固たるモノサシを持って飄々と生きている人もたくさんいる。そういう人はめっちゃ魅力的だ。
ただ、就職先がどこだとか将来の年収がいくらかとかで人の優劣を決めるような価値観が全体に広く浸透しているし、そのレースに勝つことが幸せであるという空気に息が詰まりそうになる。
でも、大切なのはその人の「徳」であって、「属性」ではないと自分は思う。(別にそれを他人に押し付けるつもりはないけど)
人間は同質性が高くなればなるほど、「みんな違ってみんないい」という発想がなくなり、わざわざ優劣をつけたがるんだろうか。自分の生存のために必死で優位性のイス取りゲームを勝ち抜こうとするのかもしれない。早稲田なんて見せかけだけの「多様性の欠陥住宅」だから、階層の固定化によって快適だけど息苦しい世界になってるように見える。
大学生活を過ごす中で、また、就職活動を進める中でそういったポジション取りに価値を置く人たちと同じフィールドで戦っても自分は決して幸せになれないし、あくまでも自分はそんな生き方はしたくない、と思った。
自分が心から尊敬している人は皆、利他心・公の精神を持っている。
誰かの幸せが自分の幸せだと心から感じる人間としての寛大さを持っている。
そして人としての謙虚さや平和な心を持っている。
自分さえ良けりゃいいっていう他者への想像力、寄り添う心に欠けた人はいない。
宮台真司のいう「損得勘定でしか動けないクズ野郎」の真逆の人こそ、尊敬している。
自分はまだまだ利己的で周りのことまで考えの及ばないことばかりの未熟者だけど、長い人生のなかで少しずつそういった人に近付いていきたい。
もちろん、大企業に行くからどうとか家が金持ちだからどうとかそんな「属性」で一概にいえる問題では全くない。実際に自分の周りで立派な心と能力を持って、それを活かすために人気の企業に行くって人もたくさんいるし。自分はそんな能力もなく、かといって本気で努力する心もない人間なのでただただそういう人は尊敬するし。そういう人たちにとってそれは結果であって目的ではない。
だけど、世の中の多数派が羨んで必死に競争して入りたがる場所は多数派に近い価値観の人が集まるし、難関・人気の業界や会社ほど、ステータス主義者やマウント取ってくるやつが多いなと実際に接するなかで思うことが何度もあった。そういった息苦しさに蓋をしながら、お金や社会的地位のために必死になるのは果たして自分の本心が望むところなんだろうか、と考えると、立ち止まってしまう。
③病気で自分と向き合って
1月の後半に感染性胃腸炎とインフルエンザに罹ったことで約2週間、体調を崩した。
独りで家で過ごすなかで、白紙の60枚の紙に過去の全てを書き出した。
そこには、自分の大切にしてきたもの、これからも大切にしたいものが滲み出ていた。
働く上で、生きる上で、自分は他人のために動ける人でありたいと思った。
特に、地方だったり貧しかったり、高齢者だったり障害者だったり。そういった「割を食う」弱い立場の人に寄り添える人間でありたい。
やっぱり、自分の生い立ちから、自分だけが良い思いをして生きていくなんて自分には無理だし、自分と近い境遇にいる人にこそ、そこから抜け出させてもらえた身として何かを与えたい。出来れば間接的にではなく直接的に。
④自分
幼い頃からずっと父親に怯えて、人の機嫌を伺ったり、場を和ませようという姿勢が染み付いた。
母が入院して兄と暮らしていた頃は、こんな不条理な世の中クソくらえとずっと思っていた。
大学に入って、生まれる環境による人生の選択肢の格差に唖然とした。
休学してタテとヨコに飛び出したことで、この大学の息苦しさの正体が分かった。
どうして世界のエリートたちがトランプ大統領の誕生やBrexitを予期できなかったのかがよく分かった。
また、階級の再生産がどうやって続いていくのかもよく分かった。
そして自分たちの持つ「力」を自覚していない人がこの大学にはとても多いのもよく分かった。
最後に、自分にしかできないこと、自分だからこそできることがあるということも分かった。
生きるなかで積み上げてきた前提が大きく異なる人たちの価値観に自分を無理に押し込む必要は全くないと、やっと思えた。
だから自分は、周囲の多くから共感されないような道をこれから歩んでいくことになっても、自分の心に素直に従おうと思った。
別にそれが良いとか悪いとかはどうでもよく、自分が生きやすい道だと思うから。
⑤人生において進む方向
一言でいうと、
「情報を通じて人の生き方の選択肢を増やす」
これを自分の行動指針にする。
事業に共感できて、自分にも共感してくれる場所で働きたい。
その点、ビザスクはかなり惹かれる。
小規模で、ちゃんとした心や理念を持った人だけが集まっている会社がいいな。
色んなメリットを捨ててでもここで働きたい、この事業に関わりたいって人が集まるのはベンチャーの方が近いかなと思う。
だから、大きな会社には行かないような気がする。
ただ、お金が最大の懸念点なのも事実。
でも、これから80年近く生きるうえで、
自分の心からやりたいと思うことを仕事にするのは凄く大切なことだと思う。
そこで培って蓄積した経験は、どんな形であれきっと未来に生きるだろうし。
だから、自分が心から共感できる事業を探していこうと思う。